ここ最近、私のデスク環境が大きく変わっている。
ありがたいことに商品提供でモニターや昇降デスクをいただけたというのもあり、
デスク環境が改善し、仕事の効率が私の中では150%くらい違う感じだ。
当然、効率的に仕事ができるようになり、仕事が早く片付く。しかし、なぜか最近、疲れていることが多い。効率化したはずなのに楽になっていない。とんでもない矛盾だ。
AI活用

それを感じるようになったのはAIの活用だ。去年くらいから私はChatGPTに課金していて、ゴリゴリに活用している。動画の制作だけでも誤字脱字チェック、さらに動画を効率的に作るアプリの開発と活用に至るまで、AIさまさまだ。
例え話になるが、今まで1本の動画を作るのに1時間かかっていたのが、40分くらいになったような印象だ。この違いはあまりにも大きい。それだけ効率的に作業をすることができる。
とはいえ、私はAIを活用している人の中では、まだそこまで活用していない方だと思う。
活用している人の中には「OpenClaw」などのAIエージェントを使って、AIの部下を手に入れたような感覚で、ある程度の作業自体をAIに任せてしまっている人も多い。
本来は人を雇ってやらせる作業を、AIに任せてしまえる。メールの返信だって自動でやれてしまう時代だ。
もちろん、どこまでAIに任せるかは人によって違うだろう。
しかし、このAIを動かし、命令しているのは人だ。AIに与えた仕事の結果を最終的に「人間」が処理して、何かをしている。
100%AI任せで全自動で月収30万円! みたいなアホみたいな情報商材は広まっているが、それをできる人は本当にごくわずかでしかないだろう。
少なくとも多くの人にとってAIは、自分の代わりに完全に働いてくれる存在というより、自分の処理速度を上げるための道具だ。
そして処理速度が上がるということは、単純に楽になるということではない。
効率化

昔なら「面倒だからあとでいいか」と思っていた作業に、今はすぐ手をつけられる。
文章に詰まってもAIに相談できる。デスク周りが快適になったことで、長時間座っていても以前より疲れにくい。
モニターも見やすい。ライトもある。机も広い。作業環境としては、かなり良くなった。
AIに任せた部分で、自分がやる作業を減らせて時間ができた。
しかし、徹底的な効率化の先に待つのは、必ずしも休息ではない。
徹底的な効率化の先に待つのは、仕事量の増加だ。
やれるだけやってしまう

効率化によって生まれた余白が、休息ではなく、次の仕事で埋まっていく。結果的に仕事量が増加している。
AIで台本作りが早くなった。なら、もう一本動画を作れる。
メールの返信が早くなった。なら、もう一件営業できる。
ブログの修正が楽になった。なら、過去記事も直せる。
デスク環境が快適になった。なら、もう少し作業できる。
こうして、便利になったはずの道具たちが、いつの間にか自分の稼働時間を延ばすための装備になっている。
本来、効率化とは「同じ仕事を短い時間で終わらせる」ためのものだったはずだ。
しかし実際には、「同じ時間で、より多くの仕事をこなす」方向に使ってしまう。
特に自営業やクリエイター業は、その罠にハマりやすい。
フリーランスの罠

会社員なら、仕事が早く終わっても定時という区切りがある。
もちろん職場によるだろうが、少なくとも「ここまで」というラインが存在する。
でも個人で仕事をしていると、その枠がない。やろうと思えば、いくらでも仕事ができてしまう。
やったぶんだけ成果につながる可能性がある。手を止めたぶんだけ、機会を逃しているような気にもなる。
だから効率化で浮いた時間を、つい仕事に再投資してしまう。そして気づけば、昔より処理能力は上がっているのに、昔より疲れている。
これは別に、効率化に失敗しているわけでもないと思う。むしろ効率化が成功しているからこそ起きている問題だ。
AIは仕事を減らす道具でもあるが、同時に「できること」を増やす道具でもある。
作業環境の改善も、身体を楽にする一方で「まだいける」と思わせる。
つまり、効率化は休むための道具にもなるし、自分を酷使するための道具にもなる。
バランス

最近の私は、便利な環境を手に入れた結果、前より仕事ができるようになった。
それはありがたいことだ。
ただ、その結果として、自分のHPがゴリゴリ削られている感覚もある。効率化は、使い方を間違えると休息ではなく労働を増やす。AIも、快適なデスクも、便利なツールも、全部そうだ。
楽になるために整えた環境で、いつの間にか自分を追い込んでいる。この矛盾に気づかないと、効率化はただの酷使バフになってしまう。
もともと休むのがあまり得意ではないからこそ、少し立ち止まって考えなければならないと思う日々ではあるものの、なかなか立ち止まれないのが難しいところだ(苦笑)

