びっくりするほど、自分が人付き合いが下手だと痛感する。
ここ3年ほどで私は結婚し、子供も生まれている。 この3年は本当にあっという間で、 瞬きした瞬間に自分の置かれている状況が、 がらりと変わったような印象だ。
当然、そこには「人付き合い」というものがつきまとう。 それまでは私個人の人間関係だけだったが、結婚したことで妻の人間関係、そして子供の人間関係に自然と私も巻き込まれる。
妻の人間関係、言い換えれば妻の親族に関しては特に問題がない。 問題がないという言い方がどうなのかという部分はあるものの、 少なくとも私は「うまくやれている」と実感している。
妻の両親、妻の弟妹、妻の祖母や叔母たち。 ありがたいことに非常に良くしていただき、仲良くしている。 今では妻の実家でぐうたら寝ても許されるほどだ。
誰だこいつ
問題は子供絡みの人間関係である。これがなんともまあ、複雑だ。
例えば子どもと一緒に外を散歩していると、急に挨拶されることがある。 私はその人を一切知らない。しかし相手は子供の名前を知っている。 おそらく妻と子供とどこかで会った人なのだろう。
内心はこうだ。
「誰だこいつ」
とはいえ、口から出るのは「こんにちは」だ。笑顔もつける。
見ず知らずの人に対してである。 独身のときに、こんなふうにいきなり挨拶される経験はほとんどなかった。挨拶されるとしても勧誘だったり、キャッチのようなやつらだけだ。
子供の人間関係というのは思った以上に広い。 子ども同士の親、地域の人達。私の顔以上に、 子供の顔のほうが知られている。
そこで私が挨拶を無視したり、失礼な態度を取れば、 子供、そして妻の印象も悪くなる。 そういう一般常識は持ち合わせているがゆえに、 私は挨拶された瞬間に「誰だこいつ」と思いつつも、全力で挨拶する。
問題はこの先だ。
親として
道端で話しかけてくる人との時間は一瞬だ。 1分くらいしか無い。 しかし、それ以上となると話は変わってくる。
例えば妻の代わりに、地域のイベントや 子供絡みの何かに参加しないといけない、という状況がたまにある。 当然、イベントは数分で終わるものではない、 30分から1時間ある。
妻がいない中で、子供の父として「親」として、 親同士の交流をしなければならない。 妻という助けもない。だからといって黙って ムスっとしているわけにもいかず、 笑顔で何か会話しなければならない。
これが非常に厳しい。
私は自分でも嫌になるほど、人に興味がない。 興味がないゆえに、自分から話題を振ることができない。
相手が「最近寒いですね」などと切り出してくれれば、まだ助かる。 だが会話というものは、助けられているだけでは成立しない。 私も何か返さなければならないし、何か広げなければならない。
その場で私の頭の中はこうなる。
(この人はどこの誰なのか) (話を振ったほうがいいのか、振らないほうがいいのか) (振るとして、何を振ればいいのか)
考えているうちに時間は過ぎ、 私の成果物は愛想笑いだけで終わる。 いい大人が愛想笑いだけで終わらせるのは良くない。 明らかに良くないが、改善しない。
ママ友
先日、妻のママ友(ママ友の旦那さん)とのランチがあった。 ここでも私はあまり話さないで終わっている。
妻からも「なにか話した?」と、あえて聞かれる始末だ。 あえて聞かれるほど、私は話していないのだろう。
このママ友と旦那さんは良い人たちで、別に嫌いではない。 話そうと思えば話せる話題もある。だが自ら話題は振っていない。
なぜなのか。自分で考えてみても明確な答えは出ない。 おそらく他人への興味の無さゆえなのだろうが、 それにしても自分でもびっくりするほど話題を振っていない。
それなのに家に帰ったら猛烈な疲れと眠気で、 1時間ほど爆睡している。 大したことは一切していないのに、 「人付き合い」という場面での消費カロリーがえぐすぎるのだろう。
人付き合いが苦手すぎる
結婚前もそういう自覚はあったが、 結婚して子供が生まれて、 余計に自らの人付き合いの下手さを痛感している。
逆に仕事という場面だと、問題なく会話もできるうえに、 苦手意識が出ない。 「お金」という対価があるからこそだろう。 とんだ資本主義野郎である。
お金という対価がなくとも、 それなりに人付き合いできるようになりたい。 そう思いつつも、おそらくはもう無理だ。
無理なのだが、今日も私は全力で挨拶をする。 内心で「誰だこいつ」と思いながら。
